イノベーションストーリーズ
産業用インクジェット
お客様のお困りごとに共に挑んだ
インクジェット事業
ヘッド、インク、プリンターの
三位一体で技術を磨く
- 目次
インクジェット技術とは、微小な液滴をノズルから射出することで、ダイレクトに印刷する技術です。非接触でプリントできるため、様々な分野への応用が可能です。当社はこの事業に約50年前の1970年代にオフィスプリンター用途で参入。一度撤退しましたが、その後、テキスタイルプリンターの開発で再参入を果たします。
現在、インクジェット事業を支える柱は、インクジェットヘッド(以下、ヘッド)の外販事業です。それを支えるのは、これまで培われてきた異なる技術のすり合わせという資産です。さまざまな用途に対応する高性能のヘッドを供給することで、ものづくりのインクジェット化を牽引していくことを目指しています。
※インクジェットヘッド:インクジェットプリンターの重要なパーツで、インクの液滴を押し出すアクチュエータのこと
紙から布へ、この市場は必ず伸びる
当社のインクジェット事業の歴史は、1970年代にさかのぼります。オフィス向けプリンターの開発に取り組み、ヘッドの技術特許を持った会社との共同開発を開始。その後、ヘッドの自社開発を進めて、1983年、「コニカインクジェットプリンタJM241」のサンプル出荷に至りました。その後、事業の選択と集中を進める中でいったん撤退しましたが、1996年、この市場に再参入します。インクジェットプリンター(IJプリンター)市場に、再び挑戦したのはなぜなのか? それは、写真画像の出力において、銀塩写真に並ぶもう1つの画像出力技術を持つ必要がある、と考えたからです。当時、デジタル写真の印刷需要を見越して、IJプリンター市場には多くの企業が参入し始めていました。
当初、大判ポスターの印刷を想定して試作機を制作したところ、関心を示してくれたのは繊維・捺染(なっせん)業界でした。捺染とは布に模様を染め出す技法の一つです。従来の捺染では、一色ごとに型紙を作り、ヘラで染料を生地に擦り込んでいきます。それに対して、IJプリンターを用いた捺染は、布に直接プリントするため、型が不要で、小ロット生産・短納期にも対応できるなどの長所があります。この市場は必ず伸びる、との確信の下、テキスタイル印刷を想定した技術の開発を進めました。
ちょうどその頃、鉄道車両のシートカバーなどを手掛ける、大阪のインテリアメーカーが、小ロットに対応する効率のよい生産方法を模索していました。そこで、当社はテキスタイル印刷専用のIJプリンターを共同開発することを決断。1997年に「ナッセンジャー KS-1600」として発売しました。
その後、試行錯誤しつつ自社開発を続ける中、花開いたのが2004年に発売した「コニカミノルタ ナッセンジャー V(ブイ)」でした。ファッション産業の盛んなイタリアで、高級ブランドのスカーフなどを生産する捺染会社が、この製品を10台まとめて採用してくれたのです。これは、捺染産業のインクジェットシフトを確信させる出来事でした。
ナッセンジャー Vのプリント速度は最高60m2/時、テキスタイルプリンターとしては最速クラスでしたが、従来の捺染に比べるとかなり遅いものでした。それが、11年後の2015年に発売した「ナッセンジャー SP-1」では6,400 m2/時にまで高速化。従来の捺染に匹敵するスピードと高品質のプリントを実現し、欧州のアパレルメーカーを中心に導入が進んでいます。
まだインクジェット捺染は捺染市場全体の数%ですが、必要な分だけ生産できることや、型が要らず排水も少ないことなどから、省資源・省エネの面でも注目されています。繊維産業における環境負荷を低減できる技術として、今後の発展が期待されます。
相次ぐOEM供給で磨いたヘッド技術
テキスタイルプリンターの開発を可能にしたのは、社内の人財の結集でした。インクの開発には銀塩写真技術をバックボーンに持つ化学の専門家が揃っています。また、プリンターの設計には複写機の開発経験を持つ技術者がいます。ヘッドについては他社の特許を活用して最新の技術を習得していきましたが、その基礎を固めたのは、以前オフィスプリンター開発に携わったメンバーでした。
再参入から3年後の1999年には「IJT事業推進センター」を設立し、様々な事業部門に分かれていたインクジェット関連の人財や技術を統合。それによって、ヘッド、インク、プリンターという3つの要素の高度な”すり合わせ”を可能にする開発体制を整えました。それぞれの技術の変化に対応して、それぞれが逐次改良を進めていく。この三位一体が、当社の最大の強みとなっていきます。
自社のプリンター用に製造していたヘッドでしたが、外販事業に乗り出すきっかけは、東京都日野市のインクジェット事業拠点の近くにあった、光学機器メーカーからの依頼でした。開発担当者は、半ば常駐するかのようにお客様の下に連日通い詰め、要求された品質とスピードを実現する大判プリンター用ヘッドの開発に成功、2000年頃にOEM供給を始めました。事業的には大きくなりませんでしたが、ここで得た技術経験は、その後のヘッド事業に大いに貢献することになります。
その後、別の産業用IJプリンターメーカーからもヘッドのOEM供給の依頼を受けます。その要求レベルはかなり高いものでした。当該メーカーが採用していた他社製ヘッドに比べ、インクを射出するノズルの密度を倍に上げ、ヘッドの長さは半分とコンパクトに。そのうえ、射出するインク液滴の大きさを従来の3分の1に、という設計が求められたのです。しかも極短納期が求められました。
「できる? やってもらえる?」。交渉の担当者からの電話でこの要望を聞いたヘッドの開発現場は、なんと2週間で先方にサンプルを届けることに成功。大いに信頼を高めたのでした。
さらに、開発の過程で、お客様が他社製インクの目詰まりに悩まされていることを知って、“自らの領分を超えて” 即応したのは、当社のインク担当の技術者たちでした。問題のインクの成分を分析し、目詰まりの原因を突き止め、インクを供給するメーカーに改善策を提案することで、事態を解決したのです。これを可能にしたのは、ヘッドとインクの開発者による技術のすり合わせでした。「我々は、少しインクを改良して隣の実験室に持って行くと、すぐにテストしてもらえる。これを繰り返すことができるのは、大きな強みでした。」
このヘッドを搭載したプリンターは、世界で一番きれいな「黒」を表現できる大判プリンターとして、各国で屋外看板などのサイングラフィック印刷に活用され、大ヒットとなりました。ヘッドの外販事業は、こうした積み重ねの中で確立されていったのです。
お困りごとを共に解決する姿勢で市場を開拓
インクジェット事業を展開していく中で、当社が自負しているのは「売っておしまい」のビジネスではない、という点です。お客様の開発現場に技術者が直接伺って、お客様の困りごとを一緒になって解決する、という姿勢です。お客様と共創するその姿勢は、ヘッドの外販事業を中国市場で展開していくときにも発揮されました。
2005年当時、中国市場はインクジェット事業において非常に有望な市場でした。街には大型のサイングラフィックスがあふれ、その印刷をインクジェットでやろうという機運が盛り上がって、多くのIJプリンターメーカーが誕生していたのです。しかし、ヘッドの供給を担う企業は限られ、市場は混沌としていました。
そうした中国市場を切り拓いていったのが、部門内で通称「中国開拓団」と呼ばれていた人たちです。まず、営業責任者と技術者が中国各地を回って、インクジェット技術の難しさをきちんと理解し、いい製品を作ろうとされている共創パートナーを見つけます。そして、技術者が直接、現場に足繁く通ってお客様のプリンター開発を支援することで、信頼を得ていきました。当社のヘッドが堅牢で、多くのインクに対応できたことも相まって、シェアはどんどん拡大しました。
中国とのヘッドビジネスは、現在も事業の重要な柱の一つです。お客様の近くに技術サービス拠点を置き、さらなる用途拡大や品質向上をサポートする体制も整えていきました。製品をただ売るだけではないビジネスのあり方は、中国メーカーの技術レベルが上がった今でも変わりなく続いています。
当社のヘッドの特長は、使用できるインクのバリエーションが豊かなこと、そして共通の筐体(きょうたい)を採用していることです。豊富なラインナップは、お客様の「このインクを使いたい」という要望に応じてカスタマイズしてきたヘッドを、戦略的に製品化してきた結果です。また、ヘッドの筐体は共通ですから、インクが変わってもプリンターの設計を見直すことなく、ヘッドだけ置き換えられる良さがあります。これらの特長は、お客様の開発現場に入り込むという当社のビジネススタイルなくしては得られないものでした。
そのヘッドはますます解像度が上がり、高速でプリントできるように進化しています。インクについても、水系、溶剤系から紫外線で固まるUVインクやドライプロセスインクと、プリントする素材に合わせて開発を進めています。そして当社のヘッドとインクとプリンターの技術のすり合わせは今も続いています。
当社は今、「ものづくりのインクジェット化をけん引し、お客様のワークフローを変革する」というモットーの下、商業印刷や軟包装パッケージ、建材そしてプリント基板やディスプレイの製造といった工業用途にもその応用領域を拡げています。あらゆる市場のお客様に対して、インクジェット事業50年の歴史で一貫してきた「お客様の困りごとの解決」に、これからも尽力してまいります。
2003年に経営統合する以前の2社はそれぞれ社名変更を重ねてきたため、経営統合直前の両社のブランドであるコニカ、ミノルタという呼称で統一しました。